大統領令は本当に問題か?

「大統領令は本当に問題か?」

2017年1月20日に就任したドナルド・トランプアメリカ合衆国第45代大統領は、歴代の大統領と同じく矢継ぎ早に政策方針の転換を行った。アメリカ大統領選挙の二大政党制のもとに明確な対立軸を以って争うという性質からすれば、政権交代に伴う至極当然な成り行きなのであって、ここになんら問題はない。「行政の継続性」という概念に縛られて一種の伝統主義に陥り、政治のダイナミズムを喪失している日本からすれば奇異に映ったり驚いたりするのかもしれないが、アメリカでは通常のことである。ちなみに、トランプ大統領が就任後発令した大統領令数について、日本のマスコミは「異例のペース」などと報道したが、実際は前任のバラク・オバマ大統領の就任直後のペースと比べてもそれほど多くはない。

ただ、歴代の大統領の場合と大きく異なるのは、トランプ大統領に対する反対運動が大統領選挙終了後も継続しており、その槍玉に1月27日に署名・発令した大統領令があげられていることだろう。この大統領令は第13769号「Protecting the Nation From Foreigh Terrorist Entry into the United States」とタイトルのついたものであるが、「特定の懸念がある」七か国の国民の90日間の入国禁止措置と米国難民認定プログラムを120日間停止する(ただしシリア難民に関しては無期限の受け入れ停止)措置が定められている。トランプ大統領は、この大統領令を「国家安全保障のために必要な措置」だと主張している。そして、厳格な入国管理制度を構築するまでの暫定的な措置であるともしている。

この大統領令が発令されるやいなや、反対する声がアメリカ内外からあがった。また、大統領令が抽象的な文章で綴られていたために、空港をはじめとする入国管理の現場では一定の混乱が生じた。そもそも入国管理は現場の裁量に任される部分の大きいものではあるが、事前の根回しや附則の不存在に見られる準備不足が混乱を大きくした面は否めないだろう。従って、混乱についての結果責任はトランプ大統領にある。だが、この大統領令に反対する意見については、それらに根拠があるものと言えるか非常に疑問がある。

著名なハリウッド女優、アンジェリーナ・ジョリーのように長年難民問題に取り組んできた人たちとは異なり、多くの人々の注目と焦点は入国禁止措置に合わせられている。従ってここでは、入国禁止措置に限って論じていく。まず、入国禁止という措置についてであるが、これ自体は国家の裁量権に委ねられると国際慣習法において認められている。実際運用上の事例としても、日本は北朝鮮国籍の者の入国を禁止しているし、イスラエルイスラム中東諸国は相互に入国禁止措置を採っている。このイスラム中東諸国の中には、むろん今回入国禁止措置の対象に指定された国々(イラク、イラン、シリア、イエメン、リビアスーダンソマリア)の一部も含まれている。つまり、入国禁止措置自体を非難することは難しいということになる。

次に、入国禁止の対象として七か国を指定したことについてであるが、これに対しては大きく二つの非難が浴びせられている。宗教・人種の差別だというものとテロ対策としての効果がないというものだ。そして宗教・人種の差別だという非難については、司法の場において主張がされている。ワシントン州が大統領令を違憲だとして提訴したが、これに対してワシントン州の連邦地裁は大統領令の一時差し止めの司法処分を下した。これを受けた連邦政府(トランプ政権)はこの司法処分に不服として控訴したが、カリフォルニア州の連邦控訴裁は控訴を棄却した。

ここで間違えてはならないのは、連邦控訴裁において争われたのは連邦地裁が下した司法処分の適否についてなのであって、大統領令自体の適否ではないということだ。大統領令自体はこれから争われることになる。ただ、今回の司法処分が適当なものであるかに関しては、私は疑問に思っている。この大統領令は「国家安全保障」を名目に発令されたわけだが、司法処分を出した判事は当然にして国家安全保障に関しての情報も知見も有していない。国家安全保障は行政府の専権であり、それに関する情報のほとんどすべてを行政府が握っているのだから、これは当然のことだ。逆に言えば、連邦地裁は国家安全保障の観点をまったく顧みずに、一時的であるとはいえ、行政府の執行命令である大統領令の効力や目的を毀損、阻害する司法処分を下したということになる。審議を経た上での判決によって大統領令を無効にすることは、三権分立からして当たり前のことでなんら問題はない。しかし、一判事の裁量に基づく司法処分によってこれほど重大な大統領令の効力を一時停止することは、三権分立や国家安全保障に無配慮で軽率な判断だったと言えるのではないだろうか。

そもそも、大統領令の英語原文には、入国禁止の対象にされた七か国の国名は登場しない。大統領令全文で国名が登場するのはシリアのみだが、これはシリア難民の無期限受け入れ停止の文脈で登場するのであって、入国禁止の文脈ではない。七か国が入国禁止の対象になったのは、オバマ政権において変更されたビザ免除プラグラムに係る規制の対象国をそのままスライドさせたからと見られる。2015年12月、超党派議員立法によってビザ免除プログラムを変更する法案を可決、オバマ大統領もこれを支持して署名、成立させた。この法案は、2011年3月以降に特定の国に渡航したことのある者にビザ免除を認めなくするものであり、ここでいう特定の国とは、法律制定当初に指定されたイラク、イラン、シリア、スーダンの四か国に、2016年2月に追加指定されたリビアソマリア、イエメンの三か国を併せた計七か国のことである。大統領令による入国禁止七か国とまったく同じ国々となっている。

ビザ免除プログラムを変更する法律による規制の対象となった七か国は、国内でテロ組織が大きな影響を及ぼしている、もしくはテロリストをかくまっていると見なされたためにその規制対象となった。このオバマ政権下における政治判断を、発足間もないトランプ政権は入国禁止の大統領令に引き継いだわけである。これは政権発足間もないという現実からして当然の判断だと思うが、少なくともこの七か国の選出にトランプ大統領及び政権独自の見解や判断の反映があったようには思えない。従って、入国禁止の大統領令における七か国の指定に差別的色彩があるとは言えないし、もしあるとするならば、非難されるべきはオバマ大統領であってトランプ大統領ではないことになる。

また、別の観点から見ても、入国禁止の大統領令における七か国の指定に差別的色彩があるとは言えない。人種や宗教の差別だと言うならば、「特定の」人種や宗教が差別されていなければならない。七か国の人種や宗教はバラバラで、そこに共通項はないと言える。単純な人は「イスラム教の国々ではないか」と言うかもしれないが、それはイスラム教に無知で十把一絡げにして見るからそういう考えになるのであって、大きく見てもスンニ派シーア派の対立は十字軍以来のイスラム教とキリスト教の対立よりも古く、根深い対立なのである。従って、イスラム教に共通項を見出して入国禁止の大統領令を差別だとするのは、相当に無理があると私は思う。人種で見ればアラブ人あり、ペルシャ人あり、黒人あり、少数部族ありというもので、とてもじゃないがここに共通項はない。以上より、入国禁止の大統領令における七か国の指定には、差別的色彩がないことがはっきりしたと思う。

大統領令による入国禁止にはテロ対策の効果がないとの指摘がある。これは先述の差別ゆえ違憲論よりは、実際的な議論だと言える。確かに、2001年9月11日の同時多発テロ事件以降のアメリカにおけるテロ実行犯を見ればサウジアラビア人などが多く、七か国の国民は皆無である。だが、テロ対策の対象は現在及び将来なのであって、過去の事例を以って七か国の国民にテロリズム実行の危険がないとは言えない。同時多発テロ事件以来はや15年が過ぎているが、この間にテロリズムの在り方は大きく変容してきた。そして多くのテロが、アメリカを中心とした世界規模での陰に陽にの活動によって未然に防がれていることだろう。この実態は、我々一般の人々が確認することはできない。そしてこれ(一種のテロ未遂分)を確認できない以上、どこにテロリズムの危険があるかという判断(危険認定)は、国家安全保障の専権を預かる行政府に委託信任するしか方法がないのである。

また、入国禁止の大統領令の目的は入国禁止自体にあるわけではない。厳格な入国管理制度の確立までの「暫定的な」措置として、短期間の制限付きで入国禁止は行われているものである。この程度(短期間)の措置であるならば、行政府に与えられた権利と責務からして裁量権の範囲として認められる水準のものではないだろうか。即ち、テロ対策の効果の有無を真剣かつ慎重に検討すべき対象は、入国禁止という暫定措置ののちに現れる新しい入国管理制度であるべきなのだ。新しい入国管理制度は恒常的なものになるはずだからである。一時的な措置ならば、テロ対策としてある程度の蓋然性があればそれは許容されるべきで、完全な証明が求められるわけでもないと言えるだろう。

以上見てきたように、入国禁止の大統領令は、それほど間違ったものであるようには思えないものである。そもそも大統領選挙のときから、トランプ大統領は主にインターネット・メディアを活用して既存メディアと対立する傾向にあった。対立候補であったヒラリー・クリントン候補に比べて、トランプ大統領の既存メディアへの広告出展は圧倒的に少なかった。アメリカにおいては、既存メディアはもう既に多くの人からの信頼を失っている。トランプ大統領は、クリントン候補や彼女を応援する既存メディアをエスタブリッシュメントであり不当に利益を得ている人々だと主張した。そしてエスタブリッシュメント対反エスタブリッシュメントという二項対立的な対立軸を明確に提示し、社会やメディアといった諸々の既存秩序に不満を持つ人々を惹きつけ、選挙戦における勢いに変えていったのである。このような広報手法を採ったためもあり、既存メディアとの対立構図は激烈なものとなっている。

そうした因縁もあってか、どうもマスコミ報道はトランプ大統領に対してバイアスのかかった姿勢をとり、トランプ大統領の行うことはすべて悪いこと、めちゃくちゃなことだというイメージをラベリングしようとしているように見える。それにトランプ大統領も過剰反応して、既存メディアとトランプ大統領の対立が深まっていく負のスパイラルに陥っていると言えるだろう(スパイラルなのだから、どちらがスタートなのかを論じることは無意味だ)。そうした環境の中で、入国禁止の大統領令は既存メディアによるトランプ大統領攻撃の恰好の標的にされた感がある。そういった背景も考慮に入れた上で、入国禁止の大統領令の適否を冷静に判定する必要があると私は思っている。